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孫堅  文台
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孫堅ノ巻第九章  〜利を得た者、害を得た者〜



宿敵同士の直接的な対峙は、ある日突然やってきた。
そう、世が更に乱れる凶兆と共に・・・
なんと、いきなり霊帝が病死したのである。霊帝とは、漢王朝の帝で、
名だけの権威のみで、実質的な力こそなかったものの、世は霊帝がいたからこそ、
完全に混乱に陥るような事態は起こらなかった
のである。
しかし、孫堅が反乱の鎮圧をよく任されたことからも分かるように、
世の中は収拾がついていない状態であった。そんな中、霊帝が病死したのである。
案の定、朝廷の中でも争いが勃発した。

一方は何進。その名を聞いて思い出す人もいるだろう。
そう、黄巾の乱の鎮圧を任されるも、周囲からは頼りないと思われ、
結局は皇甫嵩、朱儁の両将軍が鎮圧することになってしまった、あの人である。
その何進と、帝が暗愚なのをいいことに好き勝手やってきた、
元を正せば世を乱した原因でもある、十常時を初めとする宦官ら。
新しい帝の後継者争いを始めたのである。

霊帝には二人の息子がいた。何進は、擁護している長男の劉弁を強制的に帝に即位させた。
まけじと宦官らも擁護している劉弁の弟、劉協を即位させるために、
何進暗殺を画策し、それを知った何進は激怒して争いが激化してゆく。
何進は宦官を皆殺しにするため、各地の英雄に救援を求めた。
それに応じ、各地の英雄が都に集結したのである。孫堅然り、宿敵の董卓も然り。
しかし、西涼に拠点を持つ董卓が遠路はるばる都に来たのだが、
呼び寄せた張本人の何進は、すでに宦官らの手によって葬り去られていた。
そして、何進の懐刀でもある名族の出身、袁紹が怒りに怒って、
宮中に乗り込んで大虐殺を始めた。髭がない者、身なりがいい者は、
宦官である可能性があるとして、手当たり次第に殺していったのである。
もう、誰が誰を殺したかも全く分からない程の有様であった。
その混乱に紛れて、宦官が帝の劉弁とその弟、劉協を連れ出して逃げ出してしまった。
帝が宦官の手に渡ると、袁紹らは逆賊扱いにされてしまう。
そのような事態はなんとしても避けたい袁紹らは、帝の捜索を始めた。

それによって、最も利を得たのが、実は傍観を決め込んでいた董卓である。
袁紹らが帝を血眼で捜している間に、都を乗っ取ってしまった。
そして、無事に見つかった帝を擁護して、都を牛耳ったのである。

孫堅と董卓の一大決戦は、ここから始まる。