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孫堅  文台
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孫堅ノ巻第四章  〜世の転機は、新たなる同士を呼ぶ〜



許昌の乱を見事鎮圧してみせた孫堅は、その才能を見出されて、
どんどん昇格してゆく。そして、その名を天下に轟かせたのであった。
この時に、孫堅の噂を聞きつけて様々な人が孫堅を訪ねた。
そして、孫堅と意気投合した者は次々と配下に加わった。
後に孫堅の中核として活躍する黄蓋、程普、韓当、祖茂の四人もこの時加わった。
祖茂は早期に名誉の戦死をしてしまうが、他の三人は孫堅死後も
孫堅の意志を継いだ息子たちに従って、天下に名乗りをあげることとなる。
そして、彼らにも突如転機が訪れる。そう、かの有名な黄巾の乱である。

黄巾の乱とは、現在(西暦2005年)から見ても、全く類を見ない規模で、
当時の漢王朝を完全に混乱に陥れた。三国志は、この黄巾の乱から始まるのは、
あまりに有名。つまり、戦乱の時代の幕開けともなったのが、この黄巾の乱。
そして、この黄巾の乱の鎮圧を任されたのが、大将軍の何進。
大将軍と言っても、それは名ばかりで実はない。
と、言うのも何進は功績を認められて大将軍になった訳ではなくて、
もともと何進は肉屋をやっていただけで、何進の妹が美しいので有名だった。
その何進の妹が帝に献上され、その兄というだけで大将軍になったのである。
このことを見る限りでも、当時の漢王朝が腐敗しきっていたことが分かる。

しかし、さすがに何進に黄巾の乱の鎮圧を任せるのが不安になった人々は、
車騎将軍の皇甫嵩、中郎将の朱儁の二将にも黄巾の乱の鎮圧を任せた。
さて、中郎将の朱儁と聞いて、その名を思い出す人もいるだろう。
そう、孫堅の才能を逸早く見抜き、許昌の乱の鎮圧を任せた人である。
勿論、朱儁は孫堅を武将として起用し、黄巾の乱の鎮圧に参加させた。

さて、許昌の乱の次は黄巾の乱。孫堅に任されるのが、反乱の鎮圧が多い。
それ程、当時の中国は乱れていた、ということ。
つまり、孫堅のような知勇兼備の人が、当時の中国では必要とされていた。
どんどん活躍の規模が大きくなる孫堅。
さて、黄巾の乱ではどのような活躍を見せてくれるのだろうか?