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孫堅ノ巻第十五章  〜袁兄弟の争い〜



さて、反董卓連合軍はというと、なんと解散してしまった。
もともと、あんまりやる気の無かった連合軍でもあるし、解散の大きな理由は、
連合軍発足のきっかけを作った曹操が、国へ帰ってしまったからである。
その理由として、敗戦。が大きいのではないだろうか。
腐りきっていた連合軍の中にも、孫堅と曹操は本気であった。
孫堅の活躍は知っての通りだが、曹操はと言うと、足を引っ張り続ける諸侯らに、
とうとう痺れを切らして無謀な戦を仕掛けてしまった。
孫堅でこそ勝利できたものの、曹操はと言うと、大敗。
いや、大敗どころではなく、惨敗、と言う方が正しいのかもしれない。
従兄弟の曹洪の決死の活躍で、なんとか生きて帰れたものの、待っていたのは、
諸侯らの冷たい視線。でしゃばった挙句の敗戦であるから、当然と言えば当然。
諸侯は曹操が負けた理由が自分らにある、と言うことは棚に上げて曹操を攻めた。
もうこんな連中とはやっていけん、と曹操は国へ帰ったのである。
また、孫堅も曹操とは同意見で、功績が認められて、豫州刺史になったので、
とりあえず孫堅は豫州に行くことにした。

豫州で孫堅を待っていたのは、くだらない争い。
袁紹とその弟、袁術の馬鹿げた争いに、孫堅は巻き込まれたのである。
この兄弟は妙な関係で、袁紹は長男だが妾の子、袁術は正統な子だが、次男。
現在は袁紹が家督であるが、袁術の言い分としては、
「何故に妾の子であるお前が家督か!正統な子である俺が家督のはずだ!」
対する袁紹の言い分としては、
「妾だろうと何だろうと、俺は長男だ。家督にはなって当然。」
どっちもどっちのような気もするが、とにかくお互いが恨み合っていた。

孫堅が豫州刺史に任命されたのは前途したが、実は任命したのが、あの袁術。
憎い弟が孫堅を豫州刺史に立てたのだから、勿論、袁紹は別の人物を、
豫州刺史に立ててしまった。
袁紹が立てた当て馬は、周禺と言う人物。
孫堅と周禺が豫州刺史の座をめぐって、争うのは必然でもある。
孫堅があっさり勝利するが、これは孫堅が周禺に勝ったのではなくて、
袁術が袁紹に勝ったことになる。
袁兄弟の争いに巻き込まれた孫堅。

このまま孫堅は、このくだらない争いに巻き込まれたままになるのだろうか?